こんにちは!世界遺産検定1級保有、旅好きワーママのゆりこです。
今回はベトナムの世界文化遺産、古都ホイアンをご紹介します。
さまざまな国際文化が根付く街、ホイアンの概要や魅力をお伝えできればと思っています。

本記事を通じて、世界遺産の古都ホイアンを訪れてみたい!と思っていただけたら嬉しいです。
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古都ホイアンについて
まずは古都ホイアンの概要をご紹介します。
概要
ベトナム中部のトゥボン川河口にあるホイアンは、16~19世紀に国際貿易港として繁栄した街です。
中国、インド、アラブを結ぶ中継貿易の拠点として、ベトナム最大の交易港であるホイアンに東アジア諸国との交易を求めるヨーロッパ諸国の船も多く寄港しました。
そのため、外国(主に中国、日本、のちにヨーロッパ)と先住民の文化が融合し、ユニークな街並みが残っているのが特徴です。
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16~17世紀は朱印船貿易の中継地点として日本人が多くホイアンに滞在していました。
最盛期には1,000人もの日本人が現地で暮らし、江戸幕府の鎖国政策により減少してしまいましたが、いまも街の中には日本文化の影響を見ることができます。
19世紀にホイアンの街は衰退してしまいますが、ベトナム戦争の戦火を免れたため当時の伝統的な街並みがそのままの状態で残りました。
伝統的なモチーフが彫刻された約1,100棟の木造建築が保存状態よく残り、狭い歩行者専用道路に沿って、きっちりと途切れることなく並んでいます。
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ホイアンは国際的な商業港であり、さまざまな文化が合わさったまま保存状態よく残された点が評価され1999年に世界文化遺産に登録されました。
異文化が融合するホイアン 見どころ
ここからはホイアンの街の見どころをお話します。
異文化が合わさった建築様式
ホイアンを歩いていると、さまざまな建築様式の家があることに気付きます。
まずは、ホイアンで最も古い建築様式の平屋建て住宅。
その後1800年代半ばに街の繁栄とともに商人やその家族が建てた2階建て木造住宅。
フランスの植民地時代に見られるようになった、ヨーロッパの伝統的なデザインと現地の文化が混ざり合ったコロニアル様式の家。
そして1930年以降は、木造2階建て住宅とコロニアル様式が融合した建築様式が増えていきました。
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街の中に根付くさまざま文化を見ながら歩いたら楽しそうですね!
来遠橋
来遠橋は別名「日本人橋」とも呼ばれ、1593年に日本の商人によってかけられた橋です。
幅3m、長さ18mの瓦屋根つきの橋で、当時の日本人街と中華街を結んでいました。
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来遠橋にはナマズにまつわる伝説があります。
その昔、インドからホイアン、さらには日本にまで到達するほどの巨大なナマズが住んでいて、ナマズが暴れると洪水・地震が起こると考えられていました。
こうした災害を起こすナマズの動きを鎮めるために、来遠橋がかけられたとされたと言われています。
来遠橋の両端に木製の動物の像があり、一方は犬の像、もう一方は猿の像で、これらはナマズを守る神獣とされています。
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来遠橋は世界で唯一、仏教寺院のある屋根付き橋でもあります。
橋の中に仏塔が存在しますが、仏陀を崇拝しておらず、人々に喜びと幸福をもたらす国の守護神である北皇チャンヴォーを崇拝しています。
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ランタン祭り
ホイアンでは月に一度、満月の夜にランタン祭りが開催され、その日の夜は街の中照明をランタンの灯りのみになります。
もともとは死者を弔う祭りでしたが、ランタンは縁起が良く、明るい未来や幸福を願ったり、邪気を払うといった意味もあります。
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ランタン祭り以外の日もランタンがたくさん並び、ホイアン名物となっています。
ランタンがホイアンで有名になった背景は、中国との貿易でランタンが持ち込まれ、ホイアンの職人たちによって独自の進化を遂げていったことにあるとされています。
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ランタンのやわらかい光が街中に広がり、幻想的ですね・・・!
ホイアンでさまざまな文化を体感しよう!
今回は世界文化遺産の古都ホイアンをご紹介しました。
歴史の中でさまざまな国との交流があったことで独自の街並みが作り上げられたホイアン、ぜひ訪れてはいかがでしょうか。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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